コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その106

 

前回言いたかったのは、描き方の法則のようなことを学習しルール化して描くよりも、「感覚に正直になる」制作を重視することである。具体的には遠近感に関して述べたのだが、今回はさらに遠近法の扱いについて触れてみたい。遠近法というのは、狭義には透視図法(線遠近法、パースペクティブ)のことだ。広義には、透視図法の他に、空気遠近法、色彩遠近法、消失遠近法、曲線遠近法、上下遠近法、重畳遠近法、斜投象法などがある。ここでは狭義の意味の遠近法の他に、空気遠近法と消失遠近法を加えて考えることにする。

上に掲載した風景画は、ノルウェーの画家クリスチャン・クローグ(1852ー1925)の作品で、遠近法にそった描き方のお手本といえる。西洋絵画の遠近法は大変重宝な法則であり、上の風景画を見た人は、「すごく奥行きがあって絵の中に入って行けそう!」という現実感を覚えるだろう。つまり西洋絵画の遠近法は、そういう現実感を表現するためには守るべき約束事である。

さて、透視図法では一つの視点からものを見ている前提だから、テーブル上の2個のリンゴを描くときに1個は座って描き他方は立って描いて、いい感じの絵になったと自己満足しても遠近法からいうとダメなわけだ。しかし、描いた本人がいい絵だと本気で信じているとしたらダメなわけがない、どう考えたらよいだろう?絵画は所詮、絵空事であるから現実と同じでなくてもよいと割り切った考えの持ち主なら、遠近法を度外に置くことがあるだろう。一方で絵空事だからこそ現実に限りなく近づけたい、理想は現実を超えるくらいのリアルさだと考える人なら、遠近法は重要な約束事である。ことほどさように、考え方ひとつで遠近法との付き合い方が変わってくるわけだ。

写実絵画では遠近法を重視するから、とにかく学習しようと考える人が多いだろう。しかし、正確に詳しく学ぼうとするとなかなか難しい。だから、一応かじってみて大まかな概要くらいを知ればよいし、その結果、たとえよく理解できなくても構わないのではないか。というのも、過度に神経質に遠近法を気にしてもマイナスになることがある。例えば、テーブル上に置かれた複数の果物を描く過程で、後方にある果物は前にあるものよりも明瞭に表現してはならないと気にし過ぎて、後ろの果物が消えそうに見えるほどでも遠近法からいうと正しいと納得してしまうのは大変まずい。大平原の遠近感ではなく、たかだか50~60センチ程度の奥行きしかないテーブル上の遠近表現であるからだ。こういう思い込みは起こりやすい。

さて、私が時折感心させられる生徒作品の共通点を遠近法に関して指摘するなら、あまり気にしていないように見えることだ。気にしないのは、遠近法がよく分かっていないのか、十分に理解しているが活用していないかのどちらかだろう。多分、遠近法の理解不足によるものと想像している。だとしても、それが作品のプラスになっているのは、遠近法を「多少は知っている」と「感覚で適当に応用している」とがベストな割合で混在した状態だからのように思う。こういう自分なりのゆるい遠近法との付き合い方をして、厳密な遠近法に拘らずに制作することを私は勧めたい。

次回は、静物画を描くときの物の輪郭について述べる予定。