コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その132

 

あらかじめ念押しすると、印象派風に絵を描きたいならどうしたら上手くいくかの話を続けている。前回、モネがツボをおさえつつ適当に筆を運んでいる具体例として、空と川面を描くときのタッチの使い分けについて指摘した。それでは上に掲載した絵ではどうだろうか。「夏のヴェトゥイユ」と題された1880年のモネの作品だ。画面の全体ではなく部分を掲載している。

雲と水面の描き方を比べてみよう。どちらも横方向の短い線のタッチで描かれている。しかし、タッチの太さが違う。「雲を描くときは太い筆、水面を描くときは細い筆を使う」みたいなルールを決めているかのようだ。ルールを決めた上で、リズミカルに適当な筆運びで絵具を置いていると思えてくる。適当に筆を運んでいるので、予期しないことも起こる。例えば、画面左端の2本の木のところを見てみよう。向かって右側の木の上部の輪郭を見るとタッチが入り込んでいる。勢い余って思わず木と重なってしまったのだろう。この適当さに我慢できない人は、木の側を塗って形を整えるだろう。実際、私もそうしそうだ。しかし、そういう寛容さに乏しい気持ちで筆を運んでいると印象派風の絵にはなりにくい。「適当さ」の瑕疵、実は効果なのだが、これを肯定的に受け入れる必要がある。

「適当さ」は無神経とか粗雑とか闇雲とは異なるから、上で述べた雲と水面のタッチを使い分けるみたいなルールを感じ取らないといけない。それには、結構深い観察力が備わっていないと難しい。これをデッサン力と言い換えてもよい。そうはいってもルールが見えないと描けないわけではなくて、描きながら対象をよく観察してルールを感じ取っていけばよいので、描きたいときに描き始めることを躊躇しないようにしたい。殊に油絵ではとにかくキャンバスに向かえばよくて、画面上で根気よく苦闘すればよい。しかし水彩画でそんなことをすると失敗作になりやすい。対策は二つあって、一つはできるだけ良質(つまり高価)な水彩紙を使う。絵具を着けたり取ったりする、ある程度の無理が利く。もう一つは、1枚だけ描いて完成作としないで、何枚も描くつもりで取り組む。つまり、初めの何枚かは練習のつもりでルールを探すために描くわけだ。

ところで、そもそもの話だが、ルールを見つけたぞと思っても正解かどうか分からない場合はどうしたらよいだろう。形が正しいかどうかなら対象と見比べれば分かるし、色が似ているかどうかも容易に判別できるだろう。しかし、相応しい的確なルールかどうかはどのように判断すればよいのか。再び上の作品を見てみよう。雲と水面のタッチの使い分け以外にもルールはある。空に注目してみよう。

空を描くときは、画面上方が近景で下方になるほど遠景に見えるようにする。そのためには、空の青色は上方ほど青く下方にいくほど淡くなるようにし、雲を描くなら上方の雲ほど明瞭に下方になるほどぼんやり弱く描く。上の作品はそういうルールを適用して描いている。その結果、見ての通り空には遠近感が表現されている。「見ての通り」と書いたが、これが判断のポイントである。ルールを決めて描いてみて、その結果、描いたことが自然の有り様に相応しく見えているか、不自然に変な感じに見えないか、自分自身の眼で確かめて判断すればよい。自分の眼が信じられない人は、身近の人に見てもらって意見を聞いてもよいのだが、いつもそうだと不便だから早々に自信を持って判断できるようになりたいものだ。さて、上述の空のルールだが、どのような空でも通用するかというと当然ながらそうはいかない。この話は次回に続く。