前回の続き。風景画を描くとき、遠近感をどう考えるかについて述べてみたい。
上に掲載したのは17世紀の画家クロード・ロランの作品で、近景・中景・遠景が見事に描き分けられ深い奥行きが表現されている。前回載せたピサロの作品と比較すると奥行きの違いが明瞭だ。ピサロの作品では、近景から遠景までの建物の遠近感が不明瞭で奥行きが浅い。実際に風景を見て描くのだから、どの建物が近いところに建っていて他の建物がどのくらい離れているかは分かるわけだが、ピサロはそれを描写することに拘らなかった。その理由を考えてみよう。
丘に登って広々とした田園風景を眺め、この景色を描くなら遠近感を上手に表現したいものだと思って制作に取り掛かったとする。上のクロード・ロランの作品のように、近景にあるものは明確にはっきりと描写して、遠くに見えるものほどぼんやりと省略気味に描いていく。そうすると、だんだんと奥行きが出てくるからこの調子で進めればうまく表現できそうだ。ところで中景に趣のある鉄橋が架かっていて、風景の中で印象的だからしっかりと描き込みたいけれども、そうすると遠近感がちぐはぐになりそうで判断に困ってしまった・・・こういう問題は風景画を描いていると頻繁に出てくる。
魅力を感じる風景に出会った際にしばらく眺めていると視線が落ち着くところがあって、そこに興味をひく対象があるわけで、つまり自分の感覚に訴えかける何か、心に響いてくるものが見えたわけだ。上述の例でいうと鉄橋がそれにあたる。自分が感じたことを尊重して素直に表現するなら、興味をひかれた鉄橋をしっかりと描かなければならないだろう、それで画面上の遠近感が損なわれたとしても。ピサロの作品が浅い奥行きになっているのも、そういうストレートな表現の結果といえないだろうか。ピサロが風景画で最も優先したのは、自分が見て感じた「印象」であって、実景と同じくらいの距離感の表現は必要ではないという考え方だと思う。
クロード・ロランは現実と同じような遠近感を表現しリアルさを追求し、ピサロは現実の風景から受けた印象を忠実に表現することでリアルさを求めたということになる。つまり、風景画で遠近感をどう扱うかは、たとえ実景に近づけたい気持ちで描くことを前提にしても、クロード・ロランとピサロのように考え方次第で随分と違ってくるのだと思う。