
いろんな美術展に機会を逃さず足を運ぶことで、日本にいながらにしてルネサンスやバロックの名作絵画を目にすることができる。それらの絵は、画題もそうだが何よりも描き方が似ていて、美術史の専門家でない一般の人が見ても個々の画家の特色が分からない。つまり、没個性の絵画なのである。ところが、後期印象派と一括りにされているゴッホとゴーギャンの絵は、一般の人が見ても描き方の違いは歴然としている。とても個性的な絵画なわけだ。簡単に言ってしまえば、近代絵画になるまでは、個性的な表現の絵を鑑賞する側は求めていなかったし認めてもいなかった。ところが、近代になってマネやモネ、ルノワールやセザンヌなど個性的な絵を描く画家が出現して、それらの絵を鑑賞する側が評価し求めるようになってきたわけである。印象主義の理論に共感して評価する人がいたのは当然だが、そういう理論に詳しくない一般の絵画愛好家にも好まれるようになっていく。このような歴史の流れは現在まで続いている。専門家でない普通の絵の好きな人が、美術理論がどうこうではなく、変わった描き方の個性的な表現を個人個人の感性で「いい絵」と評価するようなった、このことは重要な変革が社会に起きた現れでもあると思う。
さて、写真を見ながら風景画を描く場合、油絵でも水彩画でも、まずは木炭や鉛筆で形を写し取るだろう。しかし、初歩の人は、建物や樹木や道路などが混み入った景色だと容易に写し取れない。不正確でも概ね写せたら着色すればよいのだが、そうすると色彩はともあれ、経験豊富な人でない限り写真の景色とはかなり違った風景画になってしまう。では、その絵は失敗作だろうか?失敗作だと思って破り捨てる前に、もう一度、その作品をしげしげと眺めてみよう。そして、上に掲載したゴッホの絵と見比べたなら似ている点を発見できるかも知れない。
上に掲載したのは、ゴッホの最晩年の作品。色も形も実景からかなりデフォルメしていると思われる。ひどく歪んだ家屋が印象的だ。はっきりした太い輪郭線が目を引くが、輪郭線を使うことで平面化を意図している。色彩はベタベタと平塗りされているから、なおさら平面的な絵になっている。樹木や草地や屋根や壁など、どれも詳しく描写されていない。つまり実景を写そうとした絵ではない。それでいて、この作品はとても魅力を感じる個性的な絵画になっていると思うのだ。ということは、「形が歪んでいる、輪郭線が強い、ものの感じを詳しく描写していない、色彩が実物と似ていない、遠近があまりない平面的な絵になっている」、これらの特徴は失敗作の理由にはならないわけだ。ところで、これらの特徴のいくつかは、先に述べた「失敗作」にも見られる点ではないだろうか。そうだとするなら、個性的な表現と解釈するべき点なので、失敗作と思われた自作も個性的になっていると考えればよいのである。
とはいうものの、ゴッホの絵と自分の絵を同じように論じられても納得いかないと考える人が多いと思う。私が言いたいのは、ゴッホと同じレベルの個性的な表現ができるとか、それを目指そうという話ではなくて、失敗と思った点を個性的な表現と考えてもよいのではないかということ。「失敗と個性は紙一重」なのであるということ。さらに言うと、写真を見て風景画を描いて、実景と似せて描けなかったから失敗だと考えるのをやめて、最初から実景とそっくりにすることに拘らないで風景画を描いた方が、自然と無理なく個性的な描き方に進んでいけると思うのである。
個性的な描き方の話は次回に続く・・・。

