コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その93

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アンリ・ルソーの描く人物は変である。人物画、とくに肖像画においてはルソーは独自のデフォルメを意図しているようだ、と考えるのは多分間違っている。ルソーの画集(タッシェン出版)の解説には、彼がどのように肖像画を制作したのかについて述べられている。以下に引用しよう・・・

ルソーはモデルの顔や身体を測定し、正確な縮尺でカンヴァスに写し取ったと伝えられている。それどころか絵の具のチューブを顔のそばに突きつけて、「正確な肌色」を見つけようとしたのであった。

このように、ルソーは正確な写実性を追求していたのであって、わざとデフォルメしようなどとは考えていなかった。画集の解説にはさらにこう書かれている。「縮尺用の網スクリーンを使って、人間を測定点で把握できるという思いこみは、特異な肖像スタイルを生み出した」と。つまりルソーの描く人物が変なのは、彼の独特な思い込みによる結果であるらしい。

「思い込み」というのは、絵画理論でも何でもなく直感である。上に掲載したのはルソーの「X氏のの肖像(ピエール・ロティ)」だが、頭部がキュビスム風なのは理論からそうなったのではなくて、直感を大事にして頑固に描き続けてきたらこの表現になったまでだ。従来の遠近法も明暗法も気にしていない。それでも素晴らしい作品になるというのは、私には興味が尽きない。さて、前回の終わりに、「ルソーの画集をゆっくり見てつらつら考えてみると」と書いたけれども、それなら私がルソーの人物画を眺めながら何をつらつら考えたかをちょっと書き出してみると・・・

ルソーが尊敬していたのは、クレマンやジェロームや、カバネ、ブーグローといったアカデミックな画家達だったという。それならなぜ、もう少しリアルに人物を描こうとしなかったのか?美術館で模写をして学んだというのに、どうして遠近法や明暗法に無頓着なのか?肖像画を注文してくれた近隣の人々から、作品の受け取りを拒否されたり破棄されることも珍しくなかったというが、ルソーはどう思っていたのだろう?結局のところ、我流の人物画の表現に頑固に拘っていただけだ、それでもいい絵になっている。革新的な絵画理論があったわけではないのに、日曜画家と呼ばれたルソーが美術史に残った要因は、少しの才能と優れた直感と恐るべき執着心なのではないか?

ルソーは、1907年のセザンヌの回顧展を見て、「私ならこれらの絵をどれも完成させることができたでしょう」と語ったという。この意見はルソーがセザンヌの仕事を理解していなかったことを表していて、彼らはまったく異なるタイプの画家であったといえると思う。セザンヌは偉大すぎて参考になりにくい点があるけれども、ルソーのようなタイプの画家からは学べる点が多いだろう。どういうことか、続きは次回に。