コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その91

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この連載は、私の教室の人達のように趣味で絵を描いている人に向けて、上達するためのヒントにしてもらいたいと考えて続けている。ところで、このところ書いている話が少々まとまりに欠け分かりにくいと気付いたので、あらためて話のテーマをはっきりさせておく。このところのテーマは、「リアルな写実から離れて独自のいい絵を描く」である。念の為に書くと、だからといってリアルな写実絵画を否定するものではない。リアルな写実絵画に拘ることで独自のいい絵に辿り着く人もいる、それはまた別の話だ。

趣味で絵を描いている人は、プロの画家を目指す画学生やそれに類する人に比べて、絵を描くことに費やせる時間に限りがあるし、一日中絵のことばかり考えているわけにもいかない。だからこそ、せっかく確保できた制作時間を大切に使って楽しみたいし上達を図りたいだろう。こういう前提に立つなら、上記のテーマは真剣に考えてみる価値のあるものだと思う。リアルにものを描写できる技術を習得するには、以前にも度々述べたように相当な訓練がいるし時間も掛かる。私が強調したいのは、そのような技術はいい絵を描くための必要条件ではないことである。技術は無用であると言っているわけではなくて、自分の絵に必要な技術は何かを知ってそれのみ習得すればよい。

いい絵についても一言。うろ覚えでどの著書だったかも失念したが、洲之内徹が書いているなかで、自分にとってのいい絵とは「盗んででも欲しくなる絵」、つまり何が何でも自分のものにしたいという気持ちが起こる絵だ、このような意味の一文があったと記憶する。これは言い得て妙で、絵を見る側からすると、そういう心をわしづかみにされた感じがするかどうかを、いい絵を判断する唯一の基準にするのがベストだと思う。絵を描く側も率直にこのことを認識していると、自分が描きたい絵はどのようなものかを模索するときに見通しをつけやすいだろう。

趣味で絵を描いていた人で、つまり平凡な勤め人であり日曜画家であったアンリ・ルソーは、現代では偉大な画家として歴史に残っている。しかし生前は、遠近法も知らない独学の素人の画家としか一般には思われていなかった。彼の作品は画集ではいい絵かどうか大変分かりづらいというかピンとこないけれども、いくつかの作品の実物に接した私は、「盗んででも欲しい絵」だと心底思ってしまった。ルソーは49歳で退職して以後制作に専念するようになるが、66歳で亡くなっているから17年間しか制作三昧ではなかったわけだ。それでも多数の偉大な作品を生み出している。次回は趣味の日曜画家でありながら、芸術品と呼べる絵を描き残したルソーについて述べたい。彼の考えや作品は、趣味で絵を描く人に多くのヒントと自信を与えてくれると思うからである。

掲載したのは、ルソーが勤務先である税関を描いた作品。