コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その131

 

「適当のススメ」と題名をつけたいくらいの話を今回も続けたい。適当に描くことは、とても大切であるという話を前回にした。それを具体例を見ながらよりはっきりさせたいと思う。上に掲載したのは、モネの1880年作の「ヴェトゥイユ近郊のフルール島」。明るい日差しの清々しい景色がとてもリアルに感じられるいい絵だと私は思う。この絵をよく見てみよう。

画面の下半分を前景の野草が覆い尽くしている。モネはこれを非常に適当に描いているが、適当さの具合が絶妙である。どこがそんなに上手いかというと、まず白い花の描き方だ。白い花と書いたが実際は花かどうかも判然としないけれども、そんなことはどうでもよくて、白い花のようなものが広範囲に分布している景色がとても自然な感じに表現されていることが重要。なかなかこうは自然な感じにならないものだ。手前から奥へ広がりをもって分布している白い花の情景を表すには、近くはまばらに、遠くに行くほど密になるように花を描き入れる。また、近くの花の形は大きく遠くは小さくなるように描く。このことが頭では分かっていても実際に熱中して描いていると、いつの間にか似たような形と大きさの花が均等に分布した不自然な状態になってしまいがちだ。

白い花の部分以外の野草の描き方も適当さが絶妙で、茎の高さや向き、野草のランダムな混み具合など自然の様相に相応しい適当さ加減で筆を運んでいる。適当、適当とさっきから強調しているが、印象派風の絵で野原の感じを出すには必須だからで、隅々まで正確にちゃんと描くぞいう気持ちで描いてしまうと印象派風とは違った絵になってしまうと思うのだ。それでは次に、画面の上半分の空と川面と対岸の樹木等を見てみよう。

空、川面、対岸の樹木等、どれを見ても何とも適当に描いているようにしか見えない。しかし適当な筆運びなのだが、ツボはおさえているのだ。ツボの一つの例がタッチの使い分けで、空と川面と対岸の樹木等をそれぞれ異なるタッチで描いていることだ。殊に画像では空と川面が同じ色なので、どのようなタッチで絵具を置いているか違いが分かりやすいだろう。空はいろんな方向の不規則な筆運びで描かれ、川面は水平方向の途切れ途切れの横線のタッチで描かれている。そのために、空には雲が浮かび広々した遠近感があり、川面は水が流れ光の反射がきらめく様子がありありと分かるわけだ。

このようなツボをおさえれば、「適当さ」がのびのびした雰囲気や自然のリズムや、情景の現実味を画面に与えてくれる。上の絵の野草にしても前回掲載の絵の葉叢にしても、適当に描いたら失敗するのではと思うのではなくて、適当に描かなかったら感じは出ないぞと考える方が印象派に近づくことができるし、絵を描くときの自然を捉える眼も養われると思う。