コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その103

 

前回の立体感の続き。静物画を描いていて、物の立体感がうまく出せないと悩んでいる人は多いと思う。だが前回提案したように、「立体感は弱くてよい」と考えるなら自作についての見方が変化して、自信をもって描けるのではないだろうか。ところで、「立体感は弱くてよい」と「立体感がない」は別である。上に掲載したマティス静物画を見てみよう。物の立体感はまったく表現されていない。このような立体感を無視した平面化を提案しているわけではない。ほどほどの立体感が出ればよいと割り切って考えようということだ。

静物画を描くときに立体感は悩みのタネで、十分に表現されていないと子供の絵みたいで下手に見えると思い込み、リアルな立体物に見えるように過度に神経質になりやすいのではないか。しかし、個人個人に相応しい絵画のスタイルがあるのだから、万人の絵に同じくらいの立体感の表現が必要とはいえない。そもそも立体感にこだわるのは、絵の中で物をリアルに存在させたいと思うからで、それなら絵によって違ってくるのは当然である。

油絵や水彩画でレモンやオレンジなどシンプルな形の果物を描くとき、色は結構きれいに出たけれどもリアルな立体感が表現できない、難しいなあと思うなら洋梨やマンゴーやパイナップルなどは尚更だろう。それで立体感を出そうとムキになって描き進めている場合に、いったん筆を置いて客観的に画面を眺めてみよう。立体的になっていなくても案外にそれらしいリアルさが出ていることがある。例えばデコボコした洋梨の立体感を正確に表すのは至難だが、それが不十分にもかかわらず洋梨らしさがリアルに描けているではないか、そう感じるときもあるはずだ。つまり、物のリアルさにとって立体感は要件の一つに過ぎない。

さて、もう一度掲載のマティスの絵を見てみよう。立体感がなく平面的なのは物だけではない、画面全体がそうで奥行きが感じられない。だからテーブルは衝立のように見えてしまう。静物画でテーブルの面の奥行きを表現するのに苦労する人は多いと思う。写実で描いてテーブルが衝立になったらまずい。確かにそうだが、奥行きもほどほど出ればよいと考えることを次に提案したいと思う。これも前回の冒頭で述べた共通点の一つと指摘したいのだが、奥行きがないのではなくて「奥行きが浅い」のである。奥行きの話の続きは次回に。

最後に上のマティスの作品の感想を述べたい。マティスは私がとても好きな画家の一人だが、ときには気持ちに何も響いてこない作品もある。感心しないというより腑に落ちないという方が正確かも知れない、理解の難しい画家だ。そんな中で掲載の作品は、見た瞬間神業としか思えないくらいのところがあって、ため息が出る絵である。どこがそんなに好いのかと聞かれても説明できない。結局、絵画とはこういう出会い頭の衝撃がすべてだろう。