コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その108

 

前回、静物画を描くときには物の輪郭、つまり際(きわ)をどう描くかに注意を払う必要性があると述べた。物の際をどう処理するか、これはとても大事で、立体感や遠近感や空間やいろんな問題と関連している。とは言うものの、物の際の話を分かりやすく説明する自信が私にはない。それでも書いておきたいと思ったのは、私自身が学生の頃に先生から度々指摘されたことであるし、物の際の表現に無頓着であるより重要な事柄として考えていく方が上達が早いからである。

大雑把に言ってしまうと、絵を描き始めて日の浅い人は、静物画を描くときに物の輪郭線を正しく描いて、輪郭の中を的確な色で塗り、調和する色をバックに施せば画面がまとまって奥行きのあるいい絵が出来上がると考えがちだが、たいていは思い通りの絵にならない。この原因の一つは、物の輪郭を単なるバックとの境目として捉えているからで、そこで形が区切られて終わっていると思ってしまうからだ。そう思わないためにも「輪郭」とせずに「際」と考えて、外側に続いていく意識に拘りたい。ややこしいが説明を続けよう。

上に掲載したセザンヌの作品を見てみよう。3個の洋梨がかためて置かれている。それぞれの洋梨の際はどう描かれているか仔細に観察してみると、際の処理のバリエーションが多彩であることに気がつく。ある箇所ははっきりした太い輪郭線が引かれ、別の箇所では細く弱い線が引かれている。目立つような輪郭線を描かずにバックと塗り分けているところもある。右端の洋梨の陰と影の境界線はよくわからない、陰と影が酷似している。左側で2個の洋梨が重なっているが、その境目があやふやになっている部分があり、密着しているように見えてしまう。いや、これはよくないですね、もうすこし離れて見えるように境目のところを描き直しましょうと、セザンヌが私の生徒だったらアドバイスするだろう。しかし、当然ながら、セザンヌには私の見当違いのアドバイスとは次元の異なる意図があってそうしているわけだ。

セザンヌがこのように様々な際の描き分けをしている理由を考えるのは別の機会に譲るとして、物の際は作者がどのような絵画を目指しているのかを端的に示している場合があることを指摘しておきたい。例えば、ルノワールには古典主義の時代と呼ばれる輪郭を明確に描いている時期があるが、後年の朦朧とした際の表現を持つ裸婦の作品とは全く異なった絵画といえる。独自の絵画を模索して進んできたルノワールの足跡を見るようで興味深い。物の際について考えてみようとするとき、それは自分の絵が目指しているものは何か、例えば写実かそうでないかなどを考える契機にもなるだろう。