コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その104

 

前回の最後に述べた「奥行きはほどほど出ればよい」という話の続き。静物画を描いていて、奥行きがうまく表現できず平板な感じの画面になってガッカリすることがあるかもしれない。しかし、奥行きが浅くなったからといって失敗したと考えるのは短絡的だろう。上に掲載した絵を見てみよう。

上のサミュエル・ジョン・ペプローの静物画では、手前のオレンジと中景のブドウと後景の黄色いメロンがほぼ同程度の明確さで描かれているので、手前から奥のメロンまでの遠近感は十分とはいえない。そして、それら以外の物も似たような強さではっきりと描かれているから、画面の空間は浅く平板な印象を免れない。それでも、この絵を見た瞬間のインパクトは相当なもので、カラフルな色彩と物の存在感の強さで見る者の視線を惹きつけて放さない作品だと思う。つまり、奥行きの浅さは、なんらこの絵の弱点になっていなくて、かえって画面の強さを生み出しているという真実を認めたい。

私は「奥行きが出なかったら失敗」という考えにとらわれないようにと言っているわけだが、実際問題としては、教室の生徒に奥行きを上手に表現しましょうといろんなアドバイスをしている。上の絵のようにではなく、手前の物は強くはっきりと、奥の物は弱く見えるように描き分けるなどである。それでは先のことと矛盾するのではないかと思われそうだ。たしかに矛盾する、説明しよう。

絵を習い始めるとき、まずはどのようなことから学ぶべきかは実は難しい問題であると思う。大方の人は写実的に描くことから練習するだろう。「手始め」として写実を学ぶわけである。しかし、手始めだから写実が最終目標にはならない可能性も随分ある。最終目標は「自分らしい絵を描くこと」であるからだ。このとき妨げになるのは、「一つのことをマスターしてから次に進まなければならない」という考えで、そう思い込んでしまうと人生が2倍あっても「自分らしい絵」に辿り着けないかもしれない。

手始めとして写実的に描くことに取り組むのは、最良とは言えなくてもかなり良い勉強法だと考えている。だから私は、生徒には写実から取り組んでみることを勧めているけれども、あくまでも「手始め」であることを伝えたいと苦慮している。写実的に描くことは、マスターする必要があるのではなくて経験する必要がある程度だということ、その違いをはっきりさせられるようなアドバイスを心掛けている。もちろん、徹底して写実を追求したい人は別である。

さて、写実的に描くなら奥行きの表現は大切だから、うまく描けるように練習するだろう。多数の生徒を見てきた経験からいうと、しばらく練習して奥行きの表現がうまくなる人がいる一方あまりできない人もいて、後者が多数派である。では、あまりうまく描けない人は練習を積み重ね奥行きの表現を完璧にマスターするべきかだが、まったくその必要はないと強調したい。ほどほどできていればよいのである。そして、もっと他のことを、自分らしい絵を描くのに必要なことを練習しよう。それは個人個人で違ってくる。例えば、細部を描写しないで全体の印象をつかむ練習とか・・・続きは次回に。