コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その94

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前回の最後に、「ルソーのようなタイプの画家からは学べる点が多いだろう」と書いたけれども、その説明から始めよう。ルソーのようなタイプの画家という意味は、独自性の高い画風の持ち主で、なおかつ、アカデミックな絵画技術に依存しないで作品をつくっていくタイプの画家である。アカデミックな技術とは、リアルな写実絵画を描く場合には必要不可欠な技術を指している。アカデミックな技術に頼らないとしても、そういう技術をもともと身につけていないか、あるいは一応習得したがあえて自作に導入しないかの違いはある。

さて、ルソーのような独自性の高い画風の画家のひとり、ジェームズ・アンソールの作品を上に掲載しよう、1890年制作の「桃」。アンソールは仮面を着けた人々をモチーフにした作品がよく知られているが、私は彼の静物画に惹かれる。上の「桃」のような作品は私の大変好む傾向の絵で、絵を見た瞬間にドキッとしたという感覚を見る側に起こさせる何かがあると思う。私は、「ドキッとさせられた」というのをいい絵である基準の一つにしているけれども、その点でアンソールの静物画は私にとって素晴らしくいい絵だ。もちろんドキッとさせるといっても、気味の悪いものを描いて驚かすだけの絵は範疇に入らない。桃のようなありきたりの何でもないものが描かれているのに、ドキッとさせられた、なぜだろうと思わせる絵のことである。

ところで、そのような絵に私は身の周りで遭遇している。どこで出会うかというと、私の教室で。つまり生徒の作品の中には、腰を抜かすほど強烈なことはないけれども、ドキッとさせられることがたまにあって、不思議な思いでしばらく絵に見入ってしまうほどである。これは特定の人の絵に起こるわけではなく、AさんにもBさんにもCさんにも当てはまる。ただ、Aさんは10作のうち1作はちょっとドキッとさせられるなあ、Bさんは忘れた頃にそういう絵を描くなあ、Cさんは年に一つくらいはびっくりする絵を描くなあ、というように頻度が異なるのである。たしかにルソーやアンソールの絵に感動したときほどドキッとさせられるわけではないが、同じ種類のドキッとしたという感覚を生徒の作品を見て覚えるのであって、いい絵であると自信をもって言える。まれに、これは私には描けない類のいい絵だなあと唸ることもある。

では、どのようなときに、何をどのように描いたら、どのような条件が満たされて作品の質が高まり、ドキッとさせるような絵になったのかを考えてみよう。まぐれでいい絵が出来ることはないから、ちゃんとした理由がいくつかあるわけで、それを生徒の作品の制作過程などを思い出しながら、できるだけ具体的に拾い上げてみよう。そして、それらの「理由」を解き明かして、実際に制作に活かせる提案を述べてみたい。続きは次回に。