コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その37

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静物画は人物画や風景画に比べて練習しやすい、テーブルの上に物を置いて描くだけだから・・・といって片付けてしまってもよいのだが、もっと詳しく静物画の魅力や上達法を考えてみたいと思う。

ところで、この連載は趣味で絵を描いている人、とくに私の教室の生徒と話をしているつもりになって「どうしたら上達するのか?」を一緒に考えていこうという趣旨で書いている。それからすると少し寄り道になるのだが、静物画を採り上げるならどうしてもセザンヌにふれておきたい。というのも、セザンヌ以前と以降では静物画の概念がまったく変わってしまったと思うからだ。

セザンヌは偉大な画家だが、その足跡は静物画に顕著に表れている。たしかにサント=ヴィクトワール山を描いた連作を見ると、驚くべき到達点に至ったことが見てとれるのだが、数多くの静物画を順を追って観察することで、セザンヌが成し遂げようとした仕事の凄さが少しずつ理解できそうに思えてくる。「思えてくる」と書いたのはセザンヌの思想を明らかに理解するのが困難で、時が立つと「ちょっと理解が浅かった」と再考せざるを得ないことが私には度々あるから。セザンヌと同時代の人たちにとっては尚更理解し難い絵画で、一部の人以外には全然評価されなかった。当時のフランスの作家ユイスマンスは、セザンヌに「網膜を病んだ画家」というレッテルを貼ったが、それはセザンヌが伝統的な遠近法に従っていなかったことに起因している。遠近法は西洋絵画の基本中の基本だから、それを歪曲したセザンヌの作品をいい絵だと感じるには、よほど優れた純粋な感受性の持ち主でないと難しいだろう。付け加えると、先のユイスマンスはそういう人物だったらしくセザンヌの才能を認めてもいる。

セザンヌは特別に後の絵画に影響を及ぼした画家であり、一生を絵画に捧げた勤勉で実直な努力家だったらしい。ゴッホは天才だから最初からゴッホだが、セザンヌは我慢強く仕事を推し進めてついに「近代絵画の父、セザンヌ」になったといってよい。前回書いたように絵を描くだけでなくて絵画論などをあれこれ考えてみたいなら、まず最初に読むその手の本はセザンヌ関連が面白いだろう。ところで、そういう美術評論書の中には何を述べたいのかよく分からないものがある。どうやら難解な文章しか書けない著者もいるらしく、私は、以前にはそのような美術書を読んで自分の国語力を疑ったものだが、そういうことではないらしい。それで参考までに、読みやすいセザンヌ本を一つ紹介したいと思う。

それは、吉田秀和著「セザンヌ物語」(ちくま文庫)だ。美術の研究者や画家が書いたものだと、著者に美術の専門家であるという自負があるため変な思い込みに陥る危険があるけれども、吉田氏は音楽評論家でいわば美術は門外漢だから、純粋にセザンヌ作品に接して感じ取ったことを説得力のある文章で述べている。結構本質をついているなあと思った記憶があるのだが、私が読んだのはだいぶ以前なので再読して確かめたい気持ちになっているところだ。

掲載したのは、ポーラ美術館所蔵のセザンヌの作品。よく見るとテーブルの右側と左側では奥行き感が異なっていて位置感が同じでないから、これでは左右が繋がらないと思う。もちろん、セザンヌは意図的にそう描いている。この続きは次回に・・・。