コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その82

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趣味で絵を描いている人は、どのような期待や願望があって描いているのだろうか。前回同様、この話題を続けてみよう。「絵がとにかく上手くなりたい」とか「コンクールに出品したい、個展を開きたい」等のはっきりした目標があり、情熱をもって制作に取り組んでいる人がいると思う。そういう人の中には、趣味のつもりで始めたが、やがて本職になってしまう人もいるだろう。このような本気度の高い人が私の教室にいたならば、最も伝えたいアドバイスは何か、それを今回は述べてみたい。

とにかく上手くなりたいと意欲的に一生懸命描いてある程度上手くなってきたら、次の段階として、コンクールに出品したいとか個展を開きたいと考えるようになるのは自然の流れだろう。そのときの作品は習作であってはまずい。習作とは練習のための作品のことで、コンクールや個展に出す作品は「自分らしい絵として仕上がった作品」が相応しいといえる。さて、前述した私が最も伝えたいアドバイスとは、この「自分らしい絵」を描くことについてである。「自分らしい絵」を、「個性的な表現で描かれた作品」、「独自のスタイルをもった作品」、「テーマが明確な作品」などと言い換えてもよい。

 どうしたら月次ではなく自分らしい独自性のある絵が描けるか、これは難題である。さて、上に掲載したのはルオーの作品だ。ルオーの作品はまさに「個性的な表現」で「独自のスタイル」である。いわゆる写実絵画ではないことが独自性につながっているわけだけれども、このように写実からまったく離れて自分らしい絵を描こうと思っている人は少数派だろう。やはり写実に軸足をおいて制作している人がほとんどだと思う。それは当然といえば当然で、初歩のときには写実的に描く練習から入って上達を目指すからだが、これに別段問題があるわけではない。自分らしい絵を描くためにはここからが問題で、次の二つの点を熟考する必要がある。一つは、現在、写実的に描いているとしても、どの程度に写実性を重視していくつもりなのかという点。つまり写実表現といっても、詳細で忠実な写実から、ある程度省略したり崩したり色彩を個性的に使う写実まで幅があるわけだから、自分の絵に適した写実は何かを考える。もう一つは、先ほど少数派と書いたルオーのように、写実的に描くことからきっぱりと離れて進む意志が自分にはあるかどうかという点で、一応でもよいから考えてみると大いに有意義だと思える。もしかしたら、そういう困難な道を選ぶ心境に至ることだってないとは言えない。

 ここまで書いてきて、最近読んだ日本画家の伊東深水に関する記事を思い出した。それは以下のような興味深い逸話だった。伊東深水は十代で文展院展に入選し早くから画壇に認められたが、進むべき方向性に迷っていた。当時、新進気鋭の画家だった岸田劉生に悩みを打ち明けると、「難しく考えず、黙ってただ描け。画家はそれ一筋がよい」とアドバイスされたという。

私のアドバイスと違って岸田劉生のは「黙ってただ描け」なのだが、あえて私は岸田劉生のアドバイスは忘れて下さいと言いたい。この話は次回に続く・・・。