コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その60

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前回の続き。教室の生徒から、「絵を描くときには何か考えを決めて描いた方がよいですか」と聞かれることがある。花を見て、きれいだなあと感じて夢中で絵を描くだけでよいのか、それとも、あらかじめ何か考えをもってそれに沿って描いていく方がよいのかという質問である。これはつまり制作意図をちゃんと決めて描くべきかとの問いになるわけで、まずは制作意図とはどのようなものかを示しておきたい。

白いユリ、カサブランカを見てとても美しいと感じ絵に描こうと思ったとして、どのような絵にしたいかをイメージしてみる。そうしたら、透明感のある不思議な花の白さやダンスを踊っているような花びらのフォルムの面白さなどをリアルに描写して、妖しい雰囲気の世界が画面に現れるようにしたいと思い至った。これが制作意図になるわけで、「どのような感じの画面にするのかというアイデア」と言い換えてもよさそうだ。さらに深めて「自己の絵画で表現する内容」とも言えようか。さて、それならば制作意図をあらかじめ考え、それをうまく表せそうな対象を探し出してモチーフとする制作方法があってよいわけで、例としてあげるならセザンヌの作品に多く見られると思う。

 では、制作意図をあらかじめ考えないで描くとしたらどうか。美しい花、美しい果物、美しい景色、美しい人など大多数の人達が美しさを感じる対象を写実的にとらえて美しい画面を創ることを主眼とするなら、描き手によってはことさら制作意図を考える必要はなさそうで、感覚を最大限働かせるだけで十分なときもあって、それでいい絵ができると思う。しかし制作意図を考えなければいい絵ができにく場合もある。それは、一見して美しいと単純にはいえない対象を描きたくなったときだ。具体的にいうなら樹根や牛骨など。山道を歩いていると、ヒノキやスギの大木の樹根を見て妙に興味を惹かれ足が止まり、絵心が刺激されて描いてみたい気になることがある。そこでいきなり樹根を描き始めて満足するようないい作品ができるかというと、甚だ疑問だと思う、なぜか。この続きは次回にしたい。

掲載したのは、ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵、コンスタブルがデッサンした樹根(1831年)。