コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その58

f:id:gaina1995:20200919125451j:plain

 

教室の生徒からモチーフの選び方についての質問を受けることがあるので、あらためてモチーフのことを書いてみよう。

上に掲載したのはゴッホの「靴」(1886年)で、一足の古靴のみをモチーフとした作品。とうてい美しいとは言い難いモチーフだと思うが、何に美しさを感じるかは個人個人で異なるところもあるから、ゴッホが古靴を大変美しいと思ったとしてもあり得ない話ではない。しかし、ゴッホは美しい対象として古靴を選んだわけではなく、おそらく別の基準によってモチーフとしたのだろう。

花を見て美しいと感じるのは、たぶん人類共通の感じ方だ。花の他にも新鮮な果物や紅葉に彩られた風景など、万人が美しいと感じる対象はたくさんあると思う。それらをモチーフにして、ありのままを描けば自然と誰が見てもきれいな絵が出来上がる、そういう理屈になる。ということは、きれいな絵が描きたければ、まずは誰が見ても美しさを感じるモチーフを選べばうまくいきそうに思える。

 それでは、上の薄汚れた古靴を暗い色調で描いたゴッホの作品はきたない絵かというと、私はそうは思わない。そこには「ある種の美」がたしかに表現されている。「ある種の美」とは、万人が美しいと感じるものではなくて、見る人を選ぶ「美」である。描き手によっては、人類共通の感覚からすると美しくない対象に強く惹かれることがあり、描きたい気持ちが生じて制作する。そうした作品には「ある種の美」が創造されることがあり、誰でもというわけでないが一部の鑑賞者には大きな感動をもたらす。

さて、人類共通の感覚にうったえて誰もが美しいと共感するものをモチーフとするか、万人ではなく特定の人にとってのみ美となり得るものをモチーフとするか、絵を描く者としては無頓着ではいられないと思う。そういうことに拘泥するのは不自然だから、気にせず描きたいものを描くようにすればよいと割り切る考え方もある。それでも、絵画についての様々な考えを巡らすのも絵を描く楽しみと言えなくもないから、この話題を次回も続けたい。