コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その48

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風景画を描こうと思ったら、まずは場所探しだろうが、絵になりそうな風景にはなかなか出会えないものだ。といっても、どのような景色を見て絵心がそそられるかは個々人の感受性の相違によって違ってくるわけで、「絵になる風景」というのは幻のようなものと言えなくもない。さて、画家の熊谷守一の夫人の談話「亡夫 守一のこと」から次の一節を引用してみよう。

「前略・・・とにかく、二科の研究所の書生さんたちとの旅行や、お招きで地方に出かけての写生旅行にしてもそうなんです。皆さんがここはいいというところは、まるで気に入らず、主人だけがそっぽを向いたままでね。誰もこんなところが絵になるのかと、ビックリするような場所で沢山描いたということもしばしばだったそうですよ。ときには、出かけた地元の絵描きさんたちが汗をかきかき、あちこち案内して下さったうえ、やっとここならと思ったところはだめで、足元のナスを描いていたということもあったりでね。」

この回想からは、熊谷が独特な感覚の持ち主であることが見て取れるけれども、熊谷のような優れた画家でなくても、パッと見て描きたいなあと心に響いてくる景色は人それぞれであることは前述の通りだろう。とすると、絵になりそうな風景の条件をあれこれ考えても仕方がなさそうだ。ところが逆に、いい絵になりそうもない風景を考えてみると、いくつか指摘できる条件を思いつくのでそれを述べてみたい。

時折、私の教室の生徒が、「旅行に行っていい景色の写真を撮ってきたので、それを絵に描きたい。いくつか候補の写真があるのだけれど、どれがよいと思いますか」と写真を見せながら質問することがある。そういうときには、私がまず注目するのが構図で、構図のよくない写真をもとに絵を描いてもたいていうまく行かない。では、違うアングルから撮っていたなら、問題のない構図になってよかったのかというと必ずしもそうとは限らない。というのも、もともと絵になりにくい風景があると思うのだ。写真にすると大変美しいが、いざ絵に描くとなると「労多くして功少なし」の結果なるだろうなと予想できる風景がある。

例えば、上に掲載したのは舞子公園で見ることができる明石海峡大橋と夕日だが、このように写真で見るととても美しく感動的な風景だと感じる。しかしこれを油絵にしても水彩画にしても、写実的に描いて美しくていい絵にできるかどうか、実際の制作プロセスをよくよくイメージしてみると、私はちょっと無理なんじゃないかと思ってしまう。その理由については次回に述べたい。