コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その21


絵を描くというのは、作業的な意味でいうと、結局のところ、画面をある色彩をもった形で覆うことに他ならない。平筆で赤色をちょんと置いたら、そこに赤くて四角い形が現れる。このような行為の繰り返しで画面が出来上がってくる。
色彩と形を対象物(リンゴや人や山など)にもとづいて描き加えていったら具象絵画になり、対象物を手掛かりとせずに、まったく自由に好き勝手な色彩や形で画面をうめていくと非対象絵画、つまり抽象絵画になる。そういうことだから、抽象画を見た人が、何を描いているのか全然わからないと思うのは当然で、そもそも何らかの具体的な対象物を描こうとはしていない。

ところで、私は学生の頃、著名な美術評論家が講義する「現代美術論」を受講していた。その講義のなかで、冗談半分だろうけれども、カンディンスキーは普通の絵が下手だったから抽象画を描き始めたのだと言っていたことがあり、ちょっと面食らったが、抽象画は難解な理論の裏付けが必ずあるものと考えていたから、とても面白く思ったことを記憶している。

さて、趣味で絵を描く人にとって、なかなか上達しにくいのが画面を構成していく力のようで、今までにたくさんの生徒の絵を見ていると、描写も色彩もとても優れているのに、構成がよくないために今一つ物足りないなあと感じる作品がけっこう多かった。そこで、何かよい練習法はないかなと思いつつ、やはり一作一作を描いていくなかで、画面上に色と形がどのように配されれば美しいとか、対角線や水平線や垂直線がどう働いているのかなどに目を向けてもらうしかないのかなと考えていた。
しかし、ひとつの練習方法として、抽象画を描くことをしたらどうだろうかと思いついた。

抽象画を描くことで、より単純化したかたちで構成を意識できるのではないだろうか。
純粋に画面の成り立ちを見ようとする眼を養う訓練になりはしないだろうか。
このように思うのは、私自身が学生の頃から具象画も描き抽象画も描くということをしていたからで、それが具象画の制作にプラスになったように感じているためだ。
それで具体的にいうと、そういう練習のつもりで抽象画を描くのなら、4号くらいのあまり大きくない紙に、水彩絵具や色鉛筆を使って気軽にどんどん描いてみるとよいだろう。出来の良し悪しの判断基準はただ一つ、自分にとって美しいかそうでないかだけ。

掲載したのは、オーストラリアのアボリジニの画家、エミリー・ウングワレーの作品。私は、彼女の展覧会を見た折の感動が忘れられない。