コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その84

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「趣味で絵を描いている人は、いろんな期待や願望を持って描いている」という話の続き。今回は、「できれば生きがいにしたい」と願っている人と「知的な遊びとして楽しみたい」と考えている人に向けて、参考となりそうなアドバイスを書いてみたい。

生きがいと遊びでは随分とかけ離れているように見えるが、共通点も少なからずあると思う。ただし「知的な遊び」をどう解釈するかで違ってくる。知的な遊びを「自分らしい人生を送る上で欠くことのできない精神的余裕を生むもの」と考えるなら、実際上の共通点があるといえる。どちらも可能な限り時間や費用や労力をつぎ込むことに躊躇しないとか、損得や他人の眼は気にしないなどである。「知的な遊び」を単なるレクリエーションとか娯楽とは区別したい。

知的な遊びとして絵を描いていくなら、とにかく好きなスタイルの絵を描くことに専念する。為になると思っても好きでもない傾向の絵を練習する必要はない。つまり、純粋に自分が面白いと感じられる制作に取り組むことだ。ある画家が以下のような話をしていた。「現実世界は3次元だが画面は2次元だ。その2次元の画面上に、現実の3次元の花や果物などを描いていって、あたかもリアルな3次元の物体であるかのように、少しずつ描き上げていくのが面白くて仕方ない」というのだ。この画家が、リアルな写実絵画の方が評価されやすいから描いていますと言うならどうということはないのだが、純粋に面白いからが第一義的な理由なら立派なことだと思う。同様に、純粋に面白いと感じるならどのような絵でも構わない、例えば抽象画を描くとしても。その結果の作品は、出来がどうであろうと自画自賛するのが相応しい。

好きなように描いて出来上がった作品を自画自賛する姿勢は、絵を生きがいにしたい人は殊に大切にすべきと思う。上に掲載したのは、映画(「しあわせの絵具 愛を描く人モード・ルイス」)にもなったカナダの画家、モード・ルイス(1903-1970年)の作品。彼女は正式な美術教育を受けていない。だからこのようなスタイルの絵になったと想像するのは無意味で、彼女は描きたいものを描きたいように描いただけだろう。子供のお絵かきのようだが、やはり全然違っていて、技術の積み重ねや独自のイメージの確立が見て取れる。例えばシャガールのように。モード・ルイスにとって絵を描くことは、真実の生きがいであったようだ。

モード・ルイスのように、絵を描くことと生きていくことが同一なものになる人は希少だろう。だが、生きていくと同じくらいでなくても「生きがい」であって、私の教室には「絵を描いていて本当によかった」としみじみ話す年配の人もいて、それは趣味として楽しい以上に生きがいに近いという感想であろう。そういう人の絵は、上手い下手をあまり気にせず好きなように自分らしく描いているのであり、つまり見栄を張っていない絵である。絵を生きがいにしたいなら大事なことで、そういう絵を描き続けたなら、遠くない将来に「描くことが生きがい」になっているに違いないと思う。

 絵を描くことが生きがいになる話は、さらに具体的に次回も続けたい。