コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その16


今回は、いい絵を描くのに才能は必要なのか、そのことについてごく簡単にすこしだけ述べてみたい。
本来は、「絵を描くための才能とは何か」ということから考えないといけないのだろうが、そうなるとテーマが難しくなり過ぎてちょっと手に負えないので、今はもっと簡略にすませたいと思う。

さて、絵が上手くなりたいと思ったなら、「才能」のあるなしはまったく気にしない方がよい。
それは逆じゃないのか?と思うかもしれない。しかし、そもそも絵を描く才能があるとはどういうことかと考えるとき、近代以降は実にあやふやで幻のようなものでしかなくて、よほど偉大な才能の持ち主でない限り、所詮は「どんぐりの背比べ」みたいなものと言ってもよいのではないか。
そんなものを気にしても制作の邪魔になるだけだ。

西洋絵画を考えるとき、ルネサンスの時代だと人間の形もまともに写せない者には、画家として絵を描き続ける道は開かれていなかったであろうが、近代以降は、アンリ・ルソーが偉大な画家として歴史に残っていることからもわかるように、画家の「才能」の意味するところが変化してきている。というか、才能というものを考えても仕方ないくらい、意味するものが混沌としてきているように思える。
もっとも、カーンワイラーが100年にひとりの天才だと称賛したピカソくらいの偉大な才能だと話は違ってくるが、そういう人間はごく希にしか存在しない。だから、世間に名の知れたプロの画家と趣味のアマチュア画家とは才能の違いがあるとかないとか、どういう才能がなければ駄目だとかを考えても仕方ないと思う。
才能があるからいい絵が描けるのではなくて、いい絵を描ける可能性は誰にでもあると考えた方が真実に近いように思う。

ところで、志賀直哉に「ひとつのことを長い間続けられることは才能だ」というような意味の一文があって、そういう才能ならあるにこしたことはない。
とにかく、無心に純粋にどれだけ長く描き続けられるかが運命の分かれ道・・・みたいな気持ちでいることが大事なのは間違いないと私は信じている。

掲載したのは、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」