コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その12


趣味で絵を描いていく人は、専門家(プロの画家)をめざす人なら一応は習得しようとする技術としての写実表現をちゃんとこなせる必要はないし、それでもいい絵を描けるようになる。
それには、自分の絵の長所を発展させていけるような方向を見つけることが大切だろう。もっとも趣味で楽しむために描いているわけだから、写真のような写実絵画が描けるようになりたいと思って、それを目指して技術を練習して楽しむことには何の不都合もないわけで、成果が出る出ないは二の次だろう。
さて、さらにいい絵が描けるようになるには他にも大事なことがあって、それは絵心を養うことだ。
「もともと絵心があるから、絵を描きたいと思いつき描いているのではないか」という意見が出そうだ。たしかにその通りだけれども、その絵心のレベルをもっと高めていくことが、魅力的な絵を描けることに直結すると私は考えている。

「絵心」を辞書で引くと、1、絵をかこうとする気持 2、絵をかく(鑑賞する)能力 とある(新明解国語辞典)。
これだけでは、絵心の意味として私の言いたいことには足りないので、こう補足したい。
「絵心とは、ものを見て絵になる要素をつかむ心の働きのこと」
具体例で絵心をみていこうと思う。上に掲載したのは、熊谷守一の「赤蟻」(4F、1971年)と題された作品。
熊谷は、地面に寝っ転がって毎日蟻を観察していたそうだが、そもそも蟻を描こうと思いつくことが尋常ではない。普通なら、そんなものは油絵のモチーフに相応しくないと考える、いや、考えることすらしないだろう。しかし、熊谷は蟻を毎日凝視していて、そこに絵になる要素を見つけて表現したいと思った。そういう心の働きが起こった。月並みな言い方をするなら、インスピレーションを受けたということになる。

熊谷夫人の談話、「亡夫守一のこと」(アサヒグラフ別冊、美術特集、熊谷守一)から引用する。
「とにかく、二科の研究所の書生さんたちとの旅行や、お招きで地方に出かけての写生旅行にしてもそうなんです。皆さんがここはいいというところは、まるで気に入らず、主人だけがそっぽを向いたままでね。誰もこんなところが絵になるのかと、ビックリするような場所で沢山描いたということもしばしばだったそうですよ。
ときには、出かけた地元の絵描きさんたちが汗をかきかき、あちこち案内して下さったうえ、やっとここならと思ったところはだめで、足元のナスを描いていたということもあったりでね。」
熊谷は、他の画家とはまったく異なる独特の絵心を持っていたらしい。

こういう絵心を単に感性の問題と考えるのは、ちょっと違うなあと思う。
感覚だけの問題ではなくて、そこには思想とか哲学とかも内包されていると思う。
それでは、こういう絵心を養って高めていくにはどうしたらよいのか、私なりの考えを次回に述べたい。