コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その86

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趣味で絵を描いている人は、どのような期待や願望を持ちつつ描いているのかという話の続き。今回は「絵を描いて自己表現したい」と望んでいる人へ、考えるヒントのようなことを書いてみたい。そもそもが、絵を描く行為は自己表現に他ならないと多くの人が了解していると思う。自己表現しようとことさら意識しなくても、出来上がった作品には作者の人柄が表れていて「絵は人なり」と言えそうだ。しかしながら、ここで述べる自己表現とはもっと直接的な意味で、自己の内面、つまり現在の自分が感じていること、抱いている感情、そして思想を作品であからさまに表現することである。

 そのような作品を具体例で示すならば、ゴッホのひまわりを描いた連作が適当だろう。ゴッホは、抱いていた感情や考えをひまわりや花瓶や背景の形や色に投影させたわけで、その点で写実からは大きく離れている。だから、自己表現したいなら写実から離れなければならない、と決まっているわけではない。それでも、古典絵画のような肖像画を描くならば表立って自己表現はできない道理で、ものを写実的に捉えようとするとき、自己表現は作品の表に現れず深く内在するものとなるだろう。

 私の独断を言うなら、趣味で絵を描いている人で自己表現することに拘るならば、思い切って描写的な写実を捨てるくらいの気持ちになってもよいと思う。といっても、抽象絵画を描けとかピカソを真似ようとか極端な話ではなくて、上に掲載した水彩画のような捉え方のことで、きれいに描写するという写実性から離れて自分流のものの捉え方をしていこうという意味である。上の作品の作者は、ロシアの画家、アンナ・オストロモワ・レベデバ(Anna Ostroumova-Lebedeva)(1871ー1955年)。

話は自己表現することから逸れるけれども、きれいに描写する写実から離れて自分流の捉え方で描くことに関していうと、趣味で絵を描いている人は誰でも考える価値のあることだと思う。「趣味で絵を描いている人」と書いたのは、プロを目指して制作している画学生またはそれに類似する人と区別するためで、区別しないと話がややこしい。後者の場合は時間も労力も制作に目一杯注ぎ込むはずだし、将来それで収入を得ることを考えているだろう。それだから、進むべきレールが幾つもあるわけではない。趣味で描いているなら様々な面でもっと自由だし、到達点も思いのままに選べる。当然のことながら、結局のところ、どちらがいい絵を描けるようになるかという問題とは無関係な区別である。それでは、区別しないとややこしい話の続きは次回に。