コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その9


この連載は、趣味で楽しく絵を描きたい人に向けて、どのようなことに気を付けて練習していくと速く上達できるのかを、私が日頃考えていることからアドバイスしようとしたもので、プロの画家を志している人に話しているのではない。では、そういう区別には、どういった意味があるのかを今回は述べたい。

絵を描くことを趣味としている人が望むことは、「楽しむ」ことと「上達する」ことだと思う。
一方、プロをめざしている人にとっては、「上達する」ことが何より優先されるだろう。だから、楽しくなくてもプロになるために必要な練習なら、どんなに辛くても厭わない(はずだ)。
必要な練習とはどのようなものかというと、具象絵画を描いてプロをめざすなら、最初は対象物に忠実な写実の勉強に取り組まなければならないだろう。勉強方法としては、デッサンを練習して描写力をきたえ、調子(明暗)を厳しく見る眼を養うことを避けては通れない。石膏デッサンなどを数多くこなして、さまざまな段階の調子を正確にとらえる訓練をする必要がある。
しかし、前回述べたように、調子を的確にとらえることが苦手な人は多く、その中には先天的に調子を見る能力が低い人もたくさんいて、これは私自身のことでもあるが、いくら一生懸命に石膏デッサンに励んでも努力が相応に報われないので、かなりの自信喪失に陥ることを経験する。
この段階で絵を描くのをやめた人も結構いるのではないかと想像する。

プロの画家をめざすつもりなら、ある程度の写実表現をこなせることは、専門家として当然習得すべき技術であると思う。
私がそう思うのは、ルノワールバルテュスや他の多くの画家が言っているように、「プロの画家は、絵画制作上のいろんな技術を習得している職人でもある」という考えに納得しているからである。
では、趣味で絵を描いている人もそういう職人であるべきかというと、それは違うと私は考える。
それでは大していい絵が描けないのではないかと思うかもしれないが、そんなことはない、ただ単に絵のスタイルが限られるだけだ。職人が描くようなスタイルの絵を除外すればよいのだ。
そして、自分の絵がどんどん発展していくような絵のスタイルはどういう方向か、早くそれに気付くのが大切だと思う。

プロの画家をめざす人は職人としての技術を習得する必要があり、趣味の人は必ずしも必要とはしないことを述べた。今回はふれないが、前者と後者では他にも身につける必要があるものが違ってくるのだ。
それなら、各々に必要なアドバイスも違ってくるのは当然の成り行きだろう。

掲載したのは、磯江毅の「深い眠り(部分)」で、技術だけの職人的な写実表現を超えた写実の作品。
写実の技術だけで描いた絵ではない。
磯江の言葉を以下に載せる。(月刊美術195号 1991年 より)

 「リアリズムとは、言うまでもなく写実主義の事であり、写実とは実を写すと書く。
  そして実とは真実の実であり、現実や果実の実でもある。
  実とは、肉眼を通じて精神に映し通した像を言うのだろうか。
  見つめれば、見つめる程、物の存在が切実に映り、超現実まで見えてくる事がある。
  そこまで実感し、感動を起こす精神の繊細さをもって初めて実を写せるのではないだろうか。
  習い覚え、慣れ親しんだテクニックだけに頼って機械的に描かれた画面に、実が宿るはずが
  ない」