コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その8


長らく休載していたが、桜も満開になってきてやっと冬眠から覚めたので、また続きを書きたいと思う。
前回、進むべき自分なりの絵の方向性を見つけるには、自分の絵の長所を知ることが大切だと書いた。でも、その長所がわからなかっかたらどうすればよいのか?このことについて、すこし述べてみたい。

自分の絵の長所がよくわからなかったら、まずは自分の絵の欠点を考えてみよう。欠点が多すぎて判然としない・・・などと自信のないことを言わずに、何か1つの欠点を考えてみよう。
「私の絵は、こういう点がよくない」と思ったら、次に「でも、その代わりにこういうところがよい」と考えを進めてみよう。
例えば、「私は、物の調子(明暗)がよくわからない」「でも、その代わりに物にいろんな色を見つけることができる」と、こんな具合に。

私は、長年にわたって教室でたくさんの生徒に接しているけれども、調子を見ることが苦手な人はとても多くいることがわかってきた。ある程度練習しても苦手のまま。そういう人の絵は、光と陰影をちゃんと表わせていないから、物の立体感が乏しく、画面の空間感も弱くなりやすい。しかし、それでつまらない絵になっているかというと、全然そいういうことはなくて、色遣いが個性的でとても美しかったり、画面に何とも言えない独特の雰囲気が出ていたりして、たいへん魅力的ないい絵だなあと思うこともしばしばあるのだ。
そのような絵は、プロと言われている画家には描けないような絵画世界になっていて、このままこの絵は伸びていって欲しいなあ、芽を摘むような余計なアドバイスはしないように気をつけようと思っている。それでも、つい余計なアドバイスをして、しまった!と自省することも時折ある。

さて、「調子がよくわからない」そんなことはもとより、「そもそも物の形を正しく描けないのです」と言いたい人もいるだろう。でも、そういう人の描いたゆがんだワインびんを見て、下手だなあと決めつけるのは早計で、たしかにワインびんの形はゆがんでいるが、そのゆがみ方が面白い形を生み出していることがある。こじつけみたいな言い方だが、そうではない。
物の形を正確に写し取ろうと固執して失敗すると、醜いゆがみ方になってつまらない形ができてしまうが、「私は物の形を正しく描き写すのは苦手だ、でも写真じゃないのだからそれでもいい」と大らかな気持ちで描くと、ゆがんでいても面白い形、もっというと、美しい形が生まれることがよくあると実感している。ただし、描いている本人は、変な形になったなあと思っていることが多いかもしれない。
そういうことだから、「物の形が正しく描けていない」のが自分の絵の欠点だと思うのだったら、「その代わり、面白い形にデフォルメできている」とプラス思考する方がどんどん上手くなるだろう。

掲載した絵は、松田正平の「四国犬」と題された1990年の作品。