コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その116

 

前回の、デッサンを習うことについての続きを書く。「いずれは水彩画を描きたいけれども、絵を初めて習うので最初はデッサンから始めよう」と考える人は多いと想像できる。真面目な人ほどそう考える傾向があるような気がする。もちろん、デッサンから始めようとするのは王道だから正しい。しかし、唯一の正しい考えではなく選択肢は他にもある。いきなり油絵や水彩画から始めようと考えるのも正しい。人によっては、むしろその方がよかったと後になって思い至る場合もある。絵画教室に通って初めはデッサンを習おうと考えている人に、以下の話は参考になるのではと思う。

デッサンの練習の目的として「ものの形を正しく写せるようになる」があるが、誰でもが練習次第である程度はできるようになるものだ。その他の目的としては、「立体感を出せるようになる」がある。これは練習次第とは安易に言えない事情があり、とても苦労する人がいる。事情というのは、立体感を出すために必要な明暗を見れる能力は、個人個人でかなり違っていることである。

西洋絵画の写実では、光が当たっているところと陰になっているところの明暗を上手に描き分けて立体感を表現するから、どれだけ微妙に明暗を見ることができるかが要点になる。「見ることができる」は理屈でどうなるものでなく、個人の能力によるものであり、練習によって伸ばしていくわけだ。ところが、もともとの個人の能力にばらつきがあるから、練習しても結果が相当違ってくる。そんなことは何をするにしても同様だろう、生来の能力が異なるのは当たり前だと思うかも知れないが、明暗の段階をどれだけ見れるかは個人差の激しいところが問題で、ときには努力でカバーできないくらいと考えてよいだろう。それは絵の才能がある・ないの話になってしまうのかというと、まったく別のことであって混同するのはまずい。絵の才能云々の話は別の機会にゆずるとして、明暗を見る能力の話を続けよう。

優れた写実絵画の画家は明暗を見る能力が図抜けている。画学生が練習する石膏デッサンは明暗を見る能力で俄然差がつく課題であるから、その作品を見ると、将来優れた写実画家になるような人は学生の頃から頭一つ抜けている。石膏に限らず白い物、例えば白布などをデッサンすると明暗を見るのが得意か苦手か如実にあらわれるから、苦手な人は一生懸命に練習して克服するぞと考えるが、それでも上手くならないと絵を描くこと自体が嫌になって、なかには美大受験を諦める学生もいないとはいえない。

絵画教室でデッサンを習い始めた人にも上のようなことはある。明暗を見ることが苦手だとデッサンを描くのが苦痛になってきて、「もう絵はやめた!」となってしまいかねないが、それでは本末転倒というものだ。克明に描く写実絵画が特に上手くなりたいと思っていないなら、苦手でも全然気に病むことはない。そしてデッサンを習うのをやめて、油絵または水彩画を習うようにしよう。なぜなら、油絵や水彩画には色があるからだ。色彩を使うというのは、別の絵の世界に足を踏み入れることになる。水を得た魚のように、スイスイと上達して自分の描きたい絵が描けるようになるかも知れない。写実的なデッサンは得意でないけれども、油絵または水彩画は得意である人がいても不思議ではないのである。

上に掲載したのは、ゴッホが1884年に描いた手のデッサン。あまり上手くない。立体感が乏しく、木彫りみたいな手で柔らかな質感が感じられない。ゴッホのデッサンは写実としては上手くないのだ。それでも別の魅力があるいいデッサンには違いない。この続きは次回に。