コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その121

 

印象派の絵画が殊に好きで、そのような絵が描きたいと望んでいるならどう描けばよいかの話の続き。前回はモネの積みわらの作品を例に取り、対象と対面したときの第一印象を尊重して描くことに触れた。さらにこのことを説明したい。

静物でも風景でも対象全体が視野に入ったときに、まっ先に視線の向かうところがあるはずで、そこから次々に他のものへ視線が移動していき全体が「見えた」状態になる。しかし、こんなことは瞬間的に起こっているから、ふつうは特に気にすることなく「見ている」わけだ。第一印象を尊重するとは、このことをあらためて意識して、対象全体が視野に入ったとたんに視線が引きつけられるところを画面の要として描いていく。そうすると上のような印象派風の絵になるわけだ。

次のように想像してみよう。ひとりで森の中を散策していたら、突然、四角い大岩が目に飛び込んでくる景色に出くわして、思わずアッと声を上げるくらい感覚に響いてくるものがあり、その瞬間の印象を注意深く映像化し、それを再生するつもりで水彩画を描いたら上の絵が出来上がった、というように。ところで、作者の立っている位置からはかなり奥にある大岩を最も重視して描いているので、奥行き感がかなり乏しくなっている。だからダメなのではなくて、だから瞬間の印象をリアルに表現できていると考えるべきで、印象派風の絵を描くときのポイントといえる。

印象派が得意とする風景画において、印象をリアルに捉えることと遠近感を正しく表現することは統合しにくい。例えば、都会の夜の繁華街を歩いていると、店舗の照明やいろんなネオンや道路の信号や車のヘッドライトなどの光が入り乱れてるから、しばしば遠くの建物や信号が近くに見えるわけで、それらの位置を正しく認識するには時間がかかる。この夜景を絵にするとき、実際に見えたリアルな印象の表現と、建物等が現実に位置する地点の遠近感の表現を統合することは可能だろうか、難しいように思える。少なくとも印象派の画家が描くとするなら、現実の遠近感よりもリアルな印象を表現することを優先するだろう。

以上のように、印象派風の絵を描くなら浅い奥行きは必然の場合があると考えておくべきで、何を優先するかの問題だ。ところで、文頭で「第一印象を尊重して描く」と述べたが、その印象を決定するのは形だろうか色彩だろうか、それとも明暗だろうか。当然ながら、何を見るにしてもそれらは分離して見えるわけではないから、どれをより重視するかの比較の問題であり、印象派は光が生み出す色彩の効果を最大限に表現しようと試みた。と、ここから印象派の代名詞みたいな色彩の話になるわけで、続きは次回に。

掲載したのは「森の内部、大きな岩」と題されたアルバート・エーデルフェルトの水彩画。