コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その119

 

前回掲載したのはボナールのデッサンで、現在、絵画教室でデッサンの練習に励んでいる人はそのデッサンを見て、「これは写実的に描かれていないので今習っているデッサンとは別物に見えるけれども、このようなデッサンはどう考えればよいのだろう」と疑問に思うかも知れない。このことについて説明したい。

ボナールの油絵の静物画を見ていると、前回掲載のデッサンと大変似ているところがあると思えてくる。何が似ているのかというと絵の雰囲気が一緒であり、同一画家の手に成るものであるとはっきり感じられる。つまり、油絵とデッサンが密接にリンクしているのであって、それはものの捉え方が油絵とデッサンで同じであることを意味している。対象を油絵具で描いたら油絵になり鉛筆で描いたらデッサンになる、色を使ったら油絵になりモノクロで表したらデッサンになる、ただそれだけの違いで中身はまったく同じである、こういうことだ。

そうすると、きわめて写実的に描くのがデッサンだと一般に思われているフシがあるけれども、それは正しくなくて、「写実的な絵(油絵や水彩画等)を描いている人(描きたい人)が描くデッサンは写実になる」のである。とは言うものの、現在、写実的に描くデッサンを一生懸命に練習中の初心者からすれば、そんな理屈はともあれ早く上手くなりたいと思うばかりだろう。今のところはそれでよいわけで、いずれデッサンを練習する意味について考えをめぐらす必要に迫られるから、その機会が来たら理屈をあれこれ考えて、しっかりした自分なりのデッサン観を身につけるようにしたいものだ。

ところで、上に掲載したのはモネが積みわらを描いたデッサンで、同じモチーフを描いた油絵作品と同様の対象の捉え方であり、色彩を使わずに描くと印象派の絵はこうなるという好例である。色彩の扱いに特色がある印象派なのに、色彩のない印象派の絵の好例とはどういうことか、おかしいじゃないか、と問われそうだ。上で述べたように捉え方の問題なのだが、たしかに分かりにくい。このことを含め、印象派の絵についてモネを中心に次回から述べていく。というのも、趣味で絵を描いている人の中には印象派の絵画が好きで、「あのような絵が描きたいなあ」と願っている人が結構な割合でいるように思うからである。それらの人たちに参考になりそうな話をしてみたいと思う。続きは次回に。