コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その50

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旅行などに行って、気に入った景色の写真を撮って(できればスケッチをして)、それを見ながら風景画を描く場合、ちょっとゴチャゴチャしていて描くのが大変かなと思うくらいの景色を選んだ方がよい、絵にしやすいからだ。このようなことを前回は書いた。なぜ絵にしやすいかというと、いろんなものが見えるから描くのが大変なのではなくて、たくさん見えている中から自分が描きたいものを拾い上げる自由度がとても大きいからだ。目の前に描く材料が豊富に用意されているわけで、さあ、どうぞ何なりとお描きください!ということになる。

 それではゴチャゴチャしている景色はどこにあるのかというと、まず思い浮かぶのは「街」である。上に掲載したのは、アメリカの画家ジョン・マリンがニューヨークの5番街を描いた1911年の水彩画で、人々や自動車(馬車も?)やビル群でわさわさしている大都会の情景が映画のワンシーンを見るように伝わってくる。ところで、こういう表現は好みの分かれるところだろうが、私は心憎いほど上手いなあと感心する。絵に必要なものが感覚を厳しく働かせて吟味されていて、しかも水彩の美しい偶然性を十分に活かし切っているところは見事だと言う他ない。

この絵のような雑多な風景をモチーフとするとき、見えているすべてのものを何であるか説明するように描いてしまうと、たいていの場合は退屈でうるさいだけの絵になってしまう。根気強く全部を描けばリアルになるかというとそうでなく、描けば描くほどウソっぽくなる悪循環に陥ることが多いだろう。

ところで教室で私が生徒によく話すことがあり、それは、一生懸命正確に描こうとする姿勢はとてもよいことだが、モチーフをよく見て得た情報を単にコピーするのではなく、自身の感覚で変換したもの、しかも必要と思うことだけ描きましょう、難しいことだけれども大切ですと言っている。描くことと描かないことを峻別できる眼を持つこと、これはデッサンといってよいのだが、そういう自分なりの眼を養ってもらうことをレッスンの目的の一つにしている。夢中で絵を描いているときに、これは描いた方がよい、これは描かない方がよいという判断を感覚的に積み上げていくのは困難な作業なので、その手助けをするつもりで私はアドバイスしている。もちろん、生徒と私の感性が異なっているのは当然だから私の感覚を優先するようなことではなく、あくまでアドバイス、参考意見である。

次回も風景画の続きを書いてみたい。