コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その35

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前回の付け足し・・・。ちょっと横道にそれる話ではあるが・・・。

書店の美術書の棚には人物の描き方に関するテキストがいろいろと並んでいるが、どうも近年のマンガやアニメやCGの隆盛と関係がありそうに思う。マンガやアニメ、ゲームのキャラクターなどの人物や背景を上手く描けないのでデッサンの練習をしたいという問い合わせが、時折私の教室にあるので尚更そう考えてしまう。

ところで、反対意見が多いだろうことを承知の上で書くが、マンガやアニメ、ゲームのキャラクターを上手に描けるようになりたいからデッサンを練習するというのは、ざっくり言って間違っている。なぜならそういう人たちの大半が、「デッサンの練習」という意味を西洋絵画の写実的な描写の練習ととらえているからで、リンゴの形体や立体感を正しく表現し質感を果物らしく描くこと、それがデッサンなんだと信じているフシがあるからだ。

たとえリンゴをそういう具合に描けるようになっても、マンガやアニメがメキメキと上達するわけではない。私は西洋絵画の写実の描き方でリンゴをちゃんとデッサンできるし、同じように人物画も描けるが、マンガはまったく下手くそである。つまり結論を述べると、基礎力をつけるためにデッサンの練習をするとしても、西洋絵画とマンガやアニメはまったく異なるジャンルなので、西洋絵画の基礎のデッサンとマンガやアニメの基礎のデッサンは違っていて当然で、それを同一視してしまうのはまずいではないか。それぞれに見合ったデッサンというものがある。

掲載したのは、前回にふれた神護寺三像の中の「伝平重盛像」。アンドレ・マルローが東洋のジョコンダ(モナ・リザ)と絶賛した作品で、ミロのビーナスを来日させるための交換条件として、ルーブル美術館で展示されたという。こういう人物画は、西洋絵画の規範のデッサンを基礎とはしていない。日本絵画の特質を踏まえたデッサンの名手にしか描けないだろう。ともあれ、何かのための基礎のデッサン練習だとしてもすべて同じデッサンでよいわけがない、一括りにはできないと私は考えている。

 人物画のことで、まだ書き残したことが少々あるので次回に。