コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

ゴッホの手紙、8


前々回のコラムは1888年3月10日付けのゴッホの手紙について述べたが、その手紙は第468信で、次のテオ宛の手紙の第469信では、ゴッホの傑作「アルルの跳ね橋」について触れられている。
その部分は以下・・・

「仕事に関しては、今日15号の画布を描いて持ち帰った。小さな馬車が通っている跳ね橋で、青い空にその側面が浮かんでいて_おなじように青い川と、草がオレンジ色の土手にキャラコを着たいろんな色の帽子をかぶった洗濯女がかたまっているところだ。
それからもう1枚の風景も、やっぱり小さな素朴な橋と洗濯女だ。」

この手紙でゴッホは日常生活にも触れていて・・・

「からだの調子はどうだい。僕の方は大分よくなった。熱があるので食欲がなく、食事をするのが実に億劫だ、でも一時的な現象だし根気の問題だと思う。
夜の話相手にはここに居る若いデンマーク人の画かきがいる。作品は無味乾燥で、気が小さくて几帳面だ。でも若くて利巧だから、別に嫌でもない。前に医学の勉強をやりかけたのだそうだ。ゾラ、ゴンクールモーパッサンを読んでいるし、のん気にやっているから相当裕福らしい。」

ゴッホは、制作の方法についてもすこし書いている・・・

「最近かいた3枚の習作は君も知っている遠近法の枠を使って描いた。僕は枠の使用を尊重している、フランダースの画家はいうまでもなく、昔のドイツやイタリアの画家たちが用いたように、近い将来おおくの芸術家がこれを使うことだろうと思う。」

ゴッホは、当り前のことだが、ただやみくもに描きまくっていたのではない。制作においてたいへん研究熱心だった。
掲載したのは、ゴッホの「アルルの跳ね橋」(1888年3月)。