コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

これから・・・開幕の辞

これからこのブログでは、主として、私が気になっている画家や彫刻家などについて、思いつくままに書いた短文と彼(彼女)らの作品を掲載していきます。
つまり、このブログの表題通り「コラムと絵」で構成されているわけです。書き手が気まぐれなので、更新も頻繁であったり間遠であったりします。ご容赦ください。
それでは、開幕いたします。






画家たち、1

脇田は、1908年(明治41年)東京生まれ。15歳のとき、姉夫婦とともに渡独。ベルリンで美術を学ぶ。22歳のときに帰国。以後、10年間にわたり、亡父の後を継いで会社経営にかかわる。28歳のときに、小磯良平らとともに、新制作派協会(現、新制作協会)を結成。56歳で東京芸大助教授、60歳で教授に就任。2005年に97歳で永眠。

2010年10月5日から12月19日まで、滋賀県守山市にある佐川美術館で、脇田和(鳥と遊ぶ)展が開催された。脇田が主なモチーフのひとつとしている鳥に焦点を当てた展覧会で、1950年から2004年までの作品が展示されていた。
私が作品を見て不思議だったのは、1950年の作品「西瓜と鳥」から2004年「玉遊び」まで、表現のスタイルがあまり変っていないことで、色使いも変っていないことで、モチーフの扱いも変っていないことで、いったい50年以上も何を追及していたのだろうと。
でも、会場で脇田の次の言葉を見つけて、納得がいったし感銘も受けた。

「絵っていうのは、他の人の絵でも同じでしょうけれど、皆自画像だと思うんです。自分の主張というものはもちろん絵の中にありますし、結局自分をそこに最大限に出すわけですから、それは自分の顔にならなくてはいけないんです。顔のない絵なんてつまらないでしょう。永い時間をかけて自分で自分を描いていくってことになるんでしょうね。」

どうも、絵を描くときにもっとも気にすべきことは、「深さ」のようだ。
掲載したのは、2000年「画房夢想曲」。