コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

ゴッホの手紙、10


前回は、「モーヴの追憶」と書き入れがある1888年の作品について、ゴッホがテオへの手紙(第472信)でふれていることを指摘した。手紙のなかで、この作品について、「今まで描いた風景の中ではおそらく一番いい出来だろう」と自信をのぞかせているのは興味深い。制作が調子よく進んでいる証拠だ。
制作に熱中している様子が、第474信のテオへの手紙では、さらにはっきり表れている。以下にすこし長く引用する。

「とにかく猛烈に仕事をやっている、ああいうものが描けるようになればと希いながら。
今月はお互いに苦しむだろう、でももし、それが可能なことなら、なるべく多くの花の咲いた果樹園を描くのが得策だ。いま仕事が軌道に乗ってきたから。あと10枚、同じ題材で描きたい。
僕は仕事のことで気が変わりやすいから、果樹園の熱もそう長くは続くまい。次はおそらく闘牛場だ。それからうんと素描をやってみる、日本の版画のような素描をかきたい。鉄は熱いうち叩くより仕方がないようなものだ。果樹園ですっかりまいってしまうにちがいない、25号と30号、それから20号だから。
(中略)それから糸杉のある星の夜空が描きたいーそれが熟れた麦畑の上にあるような。ここの夜はとても綺麗だ。しょっちゅう仕事がしたくって仕方がない。
(中略)いままで随分かかったんだから、僕の絵の値段が必要経費を償うかそれを上廻るようにしたい。きっとそれを実現してみせる、でも何も彼も一度に出来るものではない、仕事の方だけは順調だ。」

最初のところで、「今月はお互いに苦しむだろう」と書いているのは、どうもお金のことらしい。というのも、手紙の後半では、テオからの仕送りについて書いているから。その部分を以下に引用する。

「今まで君は僕のここでの費用に不平をもらしたこともないが、もしこの調子で仕事を続けたら、どうにもならなくなりそうだ。でもやる仕事はうんとある。
もしも君が1ヵ月か半月困るようだったら知らせてくれ給え。そうしたら素描をかくことにする、その方が費用がかからないから。あんまりそれで無理をしないように言っておこう。」

現在ゴッホの作品は、1点が100億円以上するものもあることを考えると、なんともやり切れない思いがするし、そもそも芸術の価値と金銭(社会の需要)は関係がないということだ。
掲載したのは、ゴッホの1888年の作品。