コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その129

 

前回に続けて、今回も印象派風に絵を描くことについての話。

前回の文頭で次のように述べた。

印象派風の絵が描きたい人は、習い始めの最初の段階だけ、ウォーミングアップのつもりで写実画を練習するのがよい。(中略)ウォーミングアップだから、「実際にはうまく描けないが、だいたいのところは分かった」状態に達すれば上等で、写実的描写表現の練習はさっさと切り上げて印象派風の絵を目指すのが得策である。

さて、このように書いたが私の本音を言えば、印象派風の絵を描きたいと思っている人以外でも、ウォーミングアップの段階とはいえ写実的描写表現がとても苦手、もしくはまったく好きになれない人は印象派風の絵を目指した方が、趣味として楽しく、そして将来的に芸術性の高い作品を描けるのになあと思っている。さらに言うと、リアルな写実で描こうと練習しているのにちっともそれらしくならないという人は、その表現が向いていないのだと思うのである。

それらしくならないとしても、本人が満足しているならとやかく言うなと叱られそうだが、その人が本心から望む絵を描いているのかどうかを私は疑っているわけだ。もし偏った情報や、美術関連の知識不足や世間一般の評価などに影響されて、知らず知らずのうちに「いい絵とは、優れたリアルな写実絵画のこと」と思い込んでいるなら、それは単なる一つの考え方に過ぎないから、観方はいろいろあると考えて、囚われないようにしましょうとおせっかいをやいても構わないだろう。

それに、そもそもの話だが、リアルな写実絵画(とくに油絵)というジャンルにおいては、プロとアマチュアの差は歴然としていて、趣味で絵を描く人が写実を専門に追求しているプロを凌ぐほどの作品を描くことはまず不可能だろう。技術のレベルが違い過ぎる。比べて、印象派風の絵画ではどうか。イギリスの元首相チャーチルピカソも認めるほどの素晴らしい風景画を残しているように、プロとアマチュアの差は混沌としていて「日曜画家が職業画家を負かす」ことがざらにある。

前置きのつもりで書き出した話が長くなった。上に掲載したのは、アメリカの印象主義の画家フレデリック・チャイルド・ハッサムの「冬の五番街」(1919年)である。都会の高層ビル群等、特に窓の多い建築が乱立している複雑な街を描くのは難しいと思っている人は多いだろう。しかしながら、このように印象派風に描けばビルや人や自動車などの形が適当でも様になるのである。と、生徒に説明すると、この絵を描いたのはプロの画家だからちゃんと計算しているのでしょうと疑いの眼で私を見るのだが、本当に形は適当に描いているのであって、そこがこの絵の大事なポイントと言ってもよいと思う。つまり、適当イコールいい加減ではなく、画面上で不可欠となる場合があるのだ。

真剣に描いている絵なのに適当が不可欠とはどういうことかときつい質問を浴びせられそうだが、説明は次回に詳しく述べたいと思う。とにかく、何でもきちっと正しく描けばよいというものでもないし、印象派絵画はそういうもので融通無碍なのである。

 

絵を描くのが上手くなる方法、その128

 

少し間が空いたけれども前回の続きを書く。

印象派風の絵が描きたいと考えている人は、習い始めの最初の段階だけ、ウォーミングアップのつもりで写実画を練習するのがよい。それによって絵具の扱いに慣れて色の作り方や塗り方のテクニックを知ることができる。物に光が当たってできる陰影を捉えると立体感が出せることも理解できる。ウォーミングアップだから、「実際にはうまく描けないが、だいたいのことは分かった」状態に達すれば上等で、写実的描写表現の練習はさっさと切り上げて印象派風の絵を目指すのが得策である。

さて、印象派風の絵が描きたいと考えて練習するならモチーフは風景が最も相応しいのだが、もし静物に取り組むのなら草花がよい。上に掲載したモネの作品を参考に見てみよう。参考になるところはたくさんあるのだが、以下の点に特に注意を向けたい。まずは形の取り方だ。形の正確さに欠ける描き方をしている。しかしボタニカルアートを描くわけでないから、形の正確さはこういった自然物では結構アバウトでよいと思った方が硬い感じにならずに、かえって自然物の形らしさがリアルに出るものだ。画面下部の花瓶のような器物はアバウト過ぎると「ゆがんでいる」印象になりやすいから、ある程度は正しく捉えるのが無難。印象派風に静物画を描くなら、このように形をアバウトに捉えてもマイナスになるどころかかえってプラスの効果が期待できるモチーフ、草花など植物を選ぶと取り組みやすい。

次に上の作品で色の塗り方、絵具の置き方に注目しよう。きれいに塗っていないことがよく分かるだろう。これは大事なことで、きれいに塗り過ぎると往々にして変化が乏しく平板な画面になり、印象派っぽい色がきらめく感じが出ないものだ。初心者の油絵ではしばしば見られる。言うまでもないがこれは印象派風の画面作りの場合で、そうでないなら話は違ってくる。

さらに上のチューリップを観察してみよう。花も葉も立体感に乏しくお互いの位置関係がよく分からない。形と同様にアバウトな捉え方に見えるが、作品の実物を見たらもっとちゃんとしているのだろうか。たぶん、ちゃんとしていないと思う。なぜなら、モネの絵作りの眼目がその点にないからだ。印象派風の絵を描くときには立体感や位置感を重視し過ぎないないように、かといって無視するのではないが、より重視するものが他にあると考えつつ制作するのがよいだろう。続きはまた次回に。

 

絵を描くのが上手くなる方法、その127

 

前回の文末に「印象派風に描く話は次回も続けたい」と書いたが、「その120」から回を重ねるごとにいつの間にか印象派絵画の解説みたいになってきたので、話の方向を軌道修正して続けたい。もともとのテーマは「印象派のすすめ」だったはずで、「その120」の文中にある「私が推奨したいのは、印象派のような絵が描きたいならば、油絵でも水彩画でも最初から印象派風に描く練習をすることだ」を進めていくにはどうするか述べるのが眼目だったのである。ということで、仕切り直しのつもりで書いていくことにする。

あらためて言うと、日本人に印象派絵画は特に人気があるというのは周知の事実だ。それなら趣味で絵を描いている人の中で、印象派風に描く練習をする人が多くいてもよさそうだが実際は違っていて、油絵でも水彩画でも写実画を練習している人が多数派のようだ。なぜだろうか。理由の一つには、初心者が絵画教室に習いに行くと、まずは「写実的に描く練習をさせられるから」があるだろう。私の教室でも、まったくの初心者には写実画を描くことを指導している。それでは上に述べた「最初から印象派風に描く練習をすることだ」と合わないレッスンをしているようになるが、少し事情があるから説明しよう。

中学校の美術の授業以来、絵を描くことと無縁だったというまったくの初心者に対するレッスンとしては、まず絵具の塗り方やどのように色を作っていくか等の画材に慣れる練習が必要だ。また、物に光が当たってできる陰影を描くと立体感が出るなどの基本の描き方の練習も必要だ。これらを理解しやすいレッスンとしては、写実的に描く方法が理にかなっている。だから絵を描き始めたばかりの人は、大体において写実画を練習するのがお決まりのコースになっている。これは「最初から印象派風に描く練習をすることだ」よりも前段階の練習になるわけだ。「最初」よりも「前段階」とは変な言い方に聞こえる、詐欺師みたいだ。しかしながら「最初」と「前段階」を区別したい理由がある。それは、前段階の練習のはずで始めた写実画をなんとなく描き続けてしまう場合が多いと思うからだ。

前段階であると割り切ったなら、これから挑戦する絵画のためのウォーミングアップだと思って早々に止めることができる。本当は印象派みたいな絵が描きたいと願いつつ、写実画をいつまでも練習しているという矛盾を解決できる。写実画の練習は出発前のウォーミングアップくらいに考えておかないと、写実画が上達すればするほど印象派風に描きたい思いと相容れない状態になってストレスが溜まるだろう。

もちろん、写実的に描く練習を続けてどんどん上手くなって、印象派よりも写実の方が性に合っている、こっちが本命だと自覚することもある。描きたい絵がはっきりしたわけで、その道をまっすぐ進もう。好きな絵の傾向は変化することがあるから、そのときに自分に正直であればよいわけだ。

上に掲載したのは1896年のモネの作品。こういう絵を見ると、ますます印象派風に描くことを勧めたい気持ちになる。続きは次回に。