コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

ゴッホ展


画家たち、5

この1ヶ月の間に、素晴らしい展覧会を二つ見た。京都国立近代美術館での「パウル・クレー展」と、名古屋市美術館での「ゴッホ展」である。このうちゴッホ展についてすこし書きたい。                                        ゴッホの作品は、今まで国内で開催されたいろんな展覧会で、デッサンも油彩もある程度は見ている。しかし、デッサン26点、油彩36点で構成されている今回のゴッホ展ほど、私にとって意味の深いものはなかったと思う。

ゴッホを論じるのはとても難しい。なぜなら、単に絵の話にとどまることが許されず、芸術とは?人間とは?という命題について深く考えることになってしまうからだ。色彩とかフォルムとか空間とかの造形について考えても、ゴッホの作品の意味を理解することはできそうもない。

ゴッホが自殺をする1890年に描かれた「アイリス」を上に掲載する。ゴッホ展で最後の部屋に入ると、正面の壁に掛けられた「アイリス」に眼を奪われる。あっと息を呑む。そして、この作品の前に立ってじっと見ていると、私が今いるこの会場は本当に現実の世界なのだろうか、アイリスの咲いている絵の中の世界の方が本物の現実なのではないだろうかと、とても混沌とした気持ちになってめまいを覚えてしまった。
つまり、絵の中の世界のリアリティが、現実の世界のリアリティを超えてしまっている。そういう感覚を見る人に喚起するわけで、一体全体、こういう絵が芸術なんだろうか、こんな表現ができるゴッホという人間は何だろうか、そもそも絵を描くとはどういうことなのだろうか・・・。

ゴッホの作品は、実物を見ないと大事なことを感じ取ることはできない。      実物を見ると、絵画の常識では分からないことだらけで、大事なことは感じられてもそれの正体を理解することはとうていできそうもない。そう観念して私は会場をあとにした。