コラムトエ

兵庫県西宮市にある久我美術研究所から発信する美術に関する「コラムと絵」を載せていきます。

絵を描くのが上手くなる方法、その130

 

前回の続きで、適当に描くことについての話をしたい。

上に掲載したのはモネの作品で、「シエヌ川のグランド・ジャッテ島」(1878年)である。画面の大部分が前景の木々の幹・枝・葉で覆われている。そのために題名になっているグランド・ジャッテ島は建物の形も判別しづらい。それにしても、前景の風になびく葉叢の表現は見事で、サワサワと葉擦れの音が聞こえてきそうだ。その葉叢をモネはどのように描いているのか子細に見ると、かなり適当に筆を運んでいるようなのだ。あらかじめ計算しているというよりは感覚に任せて勢いのあるタッチで適当に描き加えていき、目の前の景色から感じ取ったヴィジョンが画面に現れたらスパッと筆をおく、そういうことだろう。

適当なのだがいい加減とは違うから、上の作品のような上手な「適当」を実現できるためには、鋭い観察眼と筆遣いの高度な技術が要る。モネは素晴らしい眼と抜群の筆遣いの腕の持ち主だから見事な表現に達しているけれども、適当に描いていることに変わりはないわけで、つまり、モネほどの眼と腕がなくても適当に描くことが、風になびく葉叢を生き生きと表現するための必要条件である。

それでは実際に上の作品の景色を描くとして、葉叢を描き表す際のプロセスを考えてみよう。まずは、風になびく葉叢の全体をとことん観察することから始めなくてはならないだろう。そして、葉は常に動いているので、全体像を捉えるには葉叢全体の様子からパターンを見つける。葉の形・濃淡・大きさ・分布の密度などを見極めるわけだ。そして観察を深めながら描いていくのだが、このとき、「厳密に」ではなく「適当に」描こうとする方が上手くいく。適当に描き進めながら観察によって感じ取った全体像のパターンを探っていけばよいのである。「葉の混み具合はこれくらいか」とか「風になびく葉叢の動きが出てきた」などと画面の状態に敏感に反応しつつ描き進めれば、徐々に先が見えてくるだろう。時々冷静に画面を見て「だんだんいい感じにになってきた」と判断できるなら順調なわけで、落ち着いてさらに描き込むが、筆が走って描き過ぎても慎重になり過ぎ硬くなってもまずいから後になるほど難しい。

「厳密に」ではなく「適当に」描く方が上手くいくと先述したが、厳密と適当の違いを例えて言うなら、一枚の葉を描こうとして一つのタッチを置いてみて、その形や色や場所が意図したものと違ったら描き直すのが「厳密」、そのまま利用するのが「適当」である。もちろん、利用できないほどかけ離れてしまったら失敗だからやり直すが、許容範囲はきわめて広いと考えてよいだろう。このような適当さが有用な手段となり得る局面は、印象派風に描くときにはしばしば出くわすことになるのである。偶然に頼っていると言えばそうだが、印象派風に描くときの醍醐味と考えると楽しく制作できるし作品もレベルアップすると思う。

次回は適当に描くことについて、さらにモネの具体例を見ながらより分かりやすく述べていきたい。

 

絵を描くのが上手くなる方法、その129

 

前回に続けて、今回も印象派風に絵を描くことについての話。

前回の文頭で次のように述べた。

印象派風の絵が描きたい人は、習い始めの最初の段階だけ、ウォーミングアップのつもりで写実画を練習するのがよい。(中略)ウォーミングアップだから、「実際にはうまく描けないが、だいたいのところは分かった」状態に達すれば上等で、写実的描写表現の練習はさっさと切り上げて印象派風の絵を目指すのが得策である。

さて、このように書いたが私の本音を言えば、印象派風の絵を描きたいと思っている人以外でも、ウォーミングアップの段階とはいえ写実的描写表現がとても苦手、もしくはまったく好きになれない人は印象派風の絵を目指した方が、趣味として楽しく、そして将来的に芸術性の高い作品を描けるのになあと思っている。さらに言うと、リアルな写実で描こうと練習しているのにちっともそれらしくならないという人は、その表現が向いていないのだと思うのである。

それらしくならないとしても、本人が満足しているならとやかく言うなと叱られそうだが、その人が本心から望む絵を描いているのかどうかを私は疑っているわけだ。もし偏った情報や、美術関連の知識不足や世間一般の評価などに影響されて、知らず知らずのうちに「いい絵とは、優れたリアルな写実絵画のこと」と思い込んでいるなら、それは単なる一つの考え方に過ぎないから、観方はいろいろあると考えて、囚われないようにしましょうとおせっかいをやいても構わないだろう。

それに、そもそもの話だが、リアルな写実絵画(とくに油絵)というジャンルにおいては、プロとアマチュアの差は歴然としていて、趣味で絵を描く人が写実を専門に追求しているプロを凌ぐほどの作品を描くことはまず不可能だろう。技術のレベルが違い過ぎる。比べて、印象派風の絵画ではどうか。イギリスの元首相チャーチルピカソも認めるほどの素晴らしい風景画を残しているように、プロとアマチュアの差は混沌としていて「日曜画家が職業画家を負かす」ことがざらにある。

前置きのつもりで書き出した話が長くなった。上に掲載したのは、アメリカの印象主義の画家フレデリック・チャイルド・ハッサムの「冬の五番街」(1919年)である。都会の高層ビル群等、特に窓の多い建築が乱立している複雑な街を描くのは難しいと思っている人は多いだろう。しかしながら、このように印象派風に描けばビルや人や自動車などの形が適当でも様になるのである。と、生徒に説明すると、この絵を描いたのはプロの画家だからちゃんと計算しているのでしょうと疑いの眼で私を見るのだが、本当に形は適当に描いているのであって、そこがこの絵の大事なポイントと言ってもよいと思う。つまり、適当イコールいい加減ではなく、画面上で不可欠となる場合があるのだ。

真剣に描いている絵なのに適当が不可欠とはどういうことかときつい質問を浴びせられそうだが、説明は次回に詳しく述べたいと思う。とにかく、何でもきちっと正しく描けばよいというものでもないし、印象派絵画はそういうもので融通無碍なのである。

 

絵を描くのが上手くなる方法、その128

 

少し間が空いたけれども前回の続きを書く。

印象派風の絵が描きたいと考えている人は、習い始めの最初の段階だけ、ウォーミングアップのつもりで写実画を練習するのがよい。それによって絵具の扱いに慣れて色の作り方や塗り方のテクニックを知ることができる。物に光が当たってできる陰影を捉えると立体感が出せることも理解できる。ウォーミングアップだから、「実際にはうまく描けないが、だいたいのことは分かった」状態に達すれば上等で、写実的描写表現の練習はさっさと切り上げて印象派風の絵を目指すのが得策である。

さて、印象派風の絵が描きたいと考えて練習するならモチーフは風景が最も相応しいのだが、もし静物に取り組むのなら草花がよい。上に掲載したモネの作品を参考に見てみよう。参考になるところはたくさんあるのだが、以下の点に特に注意を向けたい。まずは形の取り方だ。形の正確さに欠ける描き方をしている。しかしボタニカルアートを描くわけでないから、形の正確さはこういった自然物では結構アバウトでよいと思った方が硬い感じにならずに、かえって自然物の形らしさがリアルに出るものだ。画面下部の花瓶のような器物はアバウト過ぎると「ゆがんでいる」印象になりやすいから、ある程度は正しく捉えるのが無難。印象派風に静物画を描くなら、このように形をアバウトに捉えてもマイナスになるどころかかえってプラスの効果が期待できるモチーフ、草花など植物を選ぶと取り組みやすい。

次に上の作品で色の塗り方、絵具の置き方に注目しよう。きれいに塗っていないことがよく分かるだろう。これは大事なことで、きれいに塗り過ぎると往々にして変化が乏しく平板な画面になり、印象派っぽい色がきらめく感じが出ないものだ。初心者の油絵ではしばしば見られる。言うまでもないがこれは印象派風の画面作りの場合で、そうでないなら話は違ってくる。

さらに上のチューリップを観察してみよう。花も葉も立体感に乏しくお互いの位置関係がよく分からない。形と同様にアバウトな捉え方に見えるが、作品の実物を見たらもっとちゃんとしているのだろうか。たぶん、ちゃんとしていないと思う。なぜなら、モネの絵作りの眼目がその点にないからだ。印象派風の絵を描くときには立体感や位置感を重視し過ぎないないように、かといって無視するのではないが、より重視するものが他にあると考えつつ制作するのがよいだろう。続きはまた次回に。